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新しく、砥部の梅山窯のお取り扱いができるようになりました。
愛媛で生活していれば、砥部焼は切っても切れない身近な存在。
贈り物に、頂き物、家庭で、旅館で、レストラン、喫茶、おうどん屋さん等々・・・子どもの頃からあらゆる場面で目にする器です。体が慣れてしまって当たり前の光景に思っていましたが、全国の数ある窯場の中でも、これだけ地元に根付いてる所は珍しいんやそうです。

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ここ、梅山窯は明治15年の開窯以来、130年あまりに渡って伝統を受け継ぐ、砥部焼でも最も大きい規模の窯元。なんと従業員は総勢50名。
昭和28年には民芸運動の柳宗悦が訪れ、その後、濱田庄司、鈴木繁男、富本憲吉らが続いて砥部の土地を訪れています。窯元にある古陶資料館には、砥部焼の歴史とその先人たちの名残となる名品が並んでおり、誰でも自由に閲覧可能。

河井寛次郎
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濱田庄司
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鈴木繁男
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富本憲吉
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棟方志功
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一番奥に位置する巨大な登り窯は、東京オリンピック頃まで現役選手だったとのこと。今は、町の有形文化財にも指定されています。

砥部焼といえば、誰しも思い浮かぶ、白磁に呉須の色絵付けに、唐草模様。そして、その丈夫さ、頑強さはみなさんの立派なお墨付きです!!
気取らず素朴で、毎日の暮らしで使ってこその器、「用の美」。

お正月にも合うような器を選んで来ましたので、少しずつご紹介していきますね。
by karin-since2011 | 2014-11-27 16:18 | 梅山窯(砥部)
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島根県安来市で作陶している八幡焼(はちまんやき)窯元。
江戸時代から280年以上続く窯元さんで、今は秦良次さん御夫妻と娘の安食さんの三人で窯を切り盛りされています。
土瓶も、お茶処らしい佇まい。蔓も工房周辺の山々で取ってきた手作りです。
こちらの地元では、昔は10時の休憩、15時の休憩と、急須にお茶を入れて仕事場で家庭で、決まって一息入れるのが習わしだったそう。
今はどの地域もそうですが・・・ペットボトルで代用?それとも休憩時間が取れない?なかなか気ぜわしくなりましたね。
「お茶が入りました」 
といってもお茶は自ら湯呑の中へは入りませんから、これは日本語特有の奥ゆかしい表現。
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店内に沖縄、九州、山陰と並びますと、同じ日本でもその土地土地で変わる景色がとても面白い。山陰にはその風土をもとに厳かな手仕事が沢山残っていますので、ぜひ、お手に触れてみてください。
by karin-since2011 | 2014-11-19 22:31
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夜な夜なジャム作り。
今年は無花果ジャムにハマってしまいました!
適度に甘く、適度にトロン。
おまけにツブツブの食感も楽しめます。(何故か前歯で噛みたくなる・・)
リニューアルした南江戸のプース・ド・シェフさん行ってきたのーと、白パン差し入れに頂きました^^ありがとうございまーす。
食べたいけど、一気に3つはさすがに危険ですね^^
by karin-since2011 | 2014-11-15 17:46 | つれづれ
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ハレの日に向けた、お祝いの品が続きました。
新郎新婦、お二人でこれにしよう、あれにしようと選ぶ姿、
〇〇ちゃんにこんなのどうかな、喜んでくれるかな、と選ぶ姿、
何かその場に居合わせるだけで、ニンマリしてしまいます(^0^)

小鹿田焼、黒木力さんの器。
刷毛目のひとつひとつ、カンナのひとつひとつに、まるで年輪が刻まれているかのよう。
御年80を超えられた現役陶工さんの器が、こうしてお孫さん世代に当たる若い方のもとへ旅立つのも、また何とも言えず嬉しいです。
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お包みも自然と気が引き締まります。
ご要望等ありましたら、お気軽におっしゃってくださいね。

どうぞ、ご両家にとって良き日となりますように。
by karin-since2011 | 2014-11-12 15:15 | オクリモノ
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やちむんの魅力は何といっても図柄の大らかさですが、それだけにとどまらず、用途もとっても大らかなんです。
あったかいもの、冷たいものどちらもOK.
入れるものも各種お茶、珈琲、紅茶などなど、オールマイティに一人何役もこなします。
これからの季節、香ばしいほうじ茶や生姜湯にもいいですね。
立冬を過ぎ、いよいよ冬の到来です。
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北窯・松田米司窯
口径:7cm
高さ:8.5cm
¥1296~

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米司窯の湯呑、10年選手に近づいてます。
by karin-since2011 | 2014-11-08 17:20 | 沖縄やちむん
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植樹して3年目、「かりんの実」の初収穫の年とになりました!
店名は何かシンボルとなる木の名前にしよう!ということで、木の名前をひたすら呼び続け、意味など知らずに音の響きだけで決めた「かりん」。
あとで調べてみたところ、カリンには「バラ科のカリン」と「マメ科のカリン」の2通りの存在が判明。
春にピンクの花をつけ、秋に実のなるカリンは、バラ科の落葉高木。今植えているやつです。
もうひとつ、マメ科のカリンは、主に東南アジアの熱帯雨林に自生し、唐木細工に使用されます。一般的に家具やお仏壇、楽器などによく見られる赤みがかった丈夫な材ですね。
実をつけるカリンが、家具などの材になってると混同しそうですが、同じ名前でもこれらは全くの別物です。

じゃあ、かりんさんはどっちのかりん?・・・ですが、   
平仮名だし、両方のイイトコドリだよ、うっしっし。

さらに調べてみると、お隣の香川県は仲多度郡まんのう町の満濃(まんのう)池。
この溜池は、讃岐出身である空海が朝廷から派遣され、留学時代に学んだ唐の土木技術を用いて修築したとされる日本最大の溜池です。空海がそのまんのうの地を訪れた際、豪族の矢原家に手土産として持参したのが「カリンの苗木」なんだとか。一節には、カリンは空海が唐より持ち帰ったのが日本に入ったはじまりとも言われています。弘法大師ともゆかりがあったかも、なんて。
バラ科のカリンは菴羅樹(アンラジュ)や安蘭樹(アンランジュ)とも呼ばれ、神社やお寺の境内に植えられていますし、昔の住宅には縁起物として樫の木と共に植えられたりします。裏に樫の木、表にカリンで、「金は貸し(樫)ても金借りん(カリン)」とちょっと一見びっくりするような表現ですけど・・・。

と長くなりましたが、何はともあれ、おめでたいかりんの収穫祭。
しばらく玄関に置いて、甘く爽やかな芳しい匂いを楽しみ、そのあと何にしようかな(^0^)
by karin-since2011 | 2014-11-06 16:23 | つれづれ
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紅葉日和の先週火曜日、久万美術館で開催されています「孤高の道-馬越舛太郎展」へ出かけました。
リブアートさんにて偶数月の第二土曜に開催される「アート夜話」。毎回違うテーマに沿って、久万美術館の成り立ちや企画運営、企画展内容など、館長さんからお話が伺えます。知らないと疎遠に感じる内容も、知ると覗いてみたくなる。ということで、どのくらい前知識が頭に入っているかは自信がありませんが(すみません)・・それでもいつもより身近に感じられた展示会でした。

馬越舛太郎(1899-1987)は、愛媛県今治出身の洋画家で、戦前は東京やフランス絵画を学びます。セザンヌに憧れやルーブル美術感を観るため若くしてパリに渡り、その後帝展や国画会で活躍。村山槐多・中村彝・林倭衛らと同時代の画家たちとの交流が知られ、将来を有望視されていました。
しかしその後暮らしぶりが一変。戦後は郷里の今治に戻り、旧友や周囲とほとんど交わることなく一人制作に没頭していきます。特に晩年の20年間に描かれたは、「白い絵」。板に描かれた油絵をカミソリの刃で削ぎ落とし、描いてはまた削ぎ落とす作業をひたすら繰り返したとされています。そして、公募展等公の場には一切出品しない。まさに孤高の道をたどる・・・馬越の心情に一体何があったのか、今となってはキャンパスを通じてしかわかりえない、非常に謎が残る部分です。
今回は馬越の油彩、デッサン、資料など約70点の展示の中で、主に晩年に焦点をあて、人々の記憶から薄れゆく馬越という孤高の画家の存在を今一度掘り起こし、馬越の求めたもの、馬越のエスプリはどこにあるのか探るというのが今回の企画展の課題であり、作品を前に各々に感じ取ってもらえたらとのことでした。
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私たちが訪れた火曜は、ちょうど偶然にも馬越氏の次女さん三男さんが来館されていました。
晩年の白い絵は描いては消し、描いては消し毎日毎日その過程の繰り返しで、メガネのフレームの上に削りカスが積もっていたそうです。そうしてストイックなまでに希求し、制作に打ち込みながら、「父は亡くなるまで自分の納得する絵に辿りつけなかったんじゃないでしょうか・・」そう静かにおっしゃる三男さんのことばが非常に印象的でした。
地位も名声も求めず、周囲と距離を置き、ただただ自分の絵を追い求め、郷里で制作し続けた孤高の画家、馬越舛太郎の企画展。久万美術館の独自の視点で、小さい美術館ながらも丁寧に準備された優しい温かみのある展示会です。紅葉シーズンも兼ねてぜひオススメします。
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by karin-since2011 | 2014-11-02 18:43 | 久万美術館